「順調ですよ」そう言われ続けてきた妊婦検診。状況が一変したのは、妊娠 9 ヶ月の時でした。赤ちゃんの心拍が何かしらの原因で下がる「胎児徐脈」と医師から告げられ、緊急入院。2 週間後には、帝王切開で出産を迎えることになりました。初めての出産。しかし、産まれてからも赤ちゃんが「おぎゃー」と言うことはなく、慌ただしく NICU(新生児集中治療室)へ。過去に度重なる流産と、妊娠 5 ヶ月での死産を経験し、産声のない静かな出産を経験している私は、「赤ちゃんの声が聞きたい。声を聞かせて。」と、切望する気持ちでいっぱいでした。
産まれて 2,3 日目のころ。哺乳する力が極端に弱いので生後すぐ経管栄養を行いました。
その後、哺乳力は弱いながらも、経管栄養を併行し、赤ちゃんの状態は徐々に安定していきました。「えいと」と名付けた赤ちゃんは GCU(回復治療室)へと移り、私は一人退院へ。えいとと離れ、先に自分だけが退院することは本当に辛かったですが、おっぱいをあげたくて、毎日搾乳をしては病院に母乳を届けていました。そんな私に、看護師さんたちはいつも優しく接してくれて、「離れている今は、お母さんが体を回復させるための時間だと思って考えを変えましょうね」と声をかけてくれました。皆さん、心のオアシスのような存在で、本当に支えられていました。
産まれてからはずっと寝ていました。生後 14 日目ころに、初めて目を開けて、看護師さんと大喜びしました!
ようやく退院の見通しが立った生後 2ヶ月のころ。なぜえいとの哺乳力が弱いのかを調べるために、いくつかの検査が行われました。染色体異常が疑われ、プラダーウィリー症候群だと分かったときは、悲しみよりも、それまでモヤモヤしていた気持ちがスッキリするような感覚でした。原因がはっきりすると、対応策を考えることができますからね。 主人も性格的に根拠のない話には振り回されないタイプなので、プラダーウィリー症候群について、とことん調べてくれました。入手できる書籍はすべて読み尽くしましたし、親の会にもすぐに入りました。また、プラダーウィリー症候群の子どもを持つ親で構成される SNS の非公式グループにも参加し、情報を集めていきました。
無事退院が決まり、生後 3 ヶ月になったえいとを連れて初めて家に帰ったときは、喜びよりも恐怖の方が大きかったです。病院にいたときは看護師さんたちがいつも支えてくれていましたが、家に帰ったとたんに、子育てに関しては放り出されました。3 時間おきに起きて、おっぱいをあげた後に飲みきれなかった分を経管栄養でチューブからあげる。これを一人で行わなければならない毎日は、想像を超える大変さでした。また、風邪をひいて近所の小児科を受診しようとしても、経管栄養のチューブを入れているえいとについては「大学病院に行ってください」と言われてしまいます。しかし、大学病院に行ったところで、ただの風邪は診てもらえません。大学病院の先生たちも、特定の小児科を紹介することはできないようで・・・。 有益な情報を得るために、身近に同じプラダーウィリー症候群の子どもを育てている家族はいないか、必死になって探しました。そして、ある保健士さんの紹介で出会ったのが、えいとよりも 7 歳年上のプラダーウィリー症候群の女の子を育てているお母さんでした。 すぐに電話をして、かかりつけの小児科を教えてもらいました。その後は実際にお会いすることもできました。これからの子育てに不安を感じていた私にとって、兄弟と一緒に育ちながら、地域の小学校に通っているプラダーウィリー症候群の女の子の様子を知ることができたのは、本当によかったです。
自宅でも経管栄養中なので、自分で管を抜いてしまわないか心配な日々。それでも笑顔に癒やされ、少しずつ子育てを楽しめてきた頃。
生後11ヶ月のころ、保育園に入園しました。私が住んでいる地域では、1歳前に保育園に入ることは珍しいことではないのですが、保育園選びは慎重になりましたね。そして、子どもの障がいや難病にとてもオープンで理解のある園長先生がいる保育園に入園を決めました。 一番気にしていたのは食事です。プラダーウィリー症候群の特徴として、満腹中枢が機能しないことがあり、お腹がいっぱいになる感覚がないため、かかりつけの小児科からも「甘いお菓子は覚えさせないように」と言われていました。お菓子の味を覚えると、「食べなきゃ!」という過食へのこだわり行動につながる危険があるからです。自宅でも甘いお菓子は食べさせたことがありませんでしたし、食事は糖質を抑えたメニューを中心に、少しのごはんとたくさんのおかずをしっかり手作りしていました。 一般的に保育園では、おやつは袋菓子になりがちですが、その保育園では食事もおやつも全て手作りのものを提供するというこだわりがありました。おやつにはおにぎりやマフィンなど、自然の甘さに近いものを出してくれていて、お菓子の味を覚えさせたくない私も、安心してえいとを入園させることができたのです。 周りの同月齢の子に比べて成長が遅く、生後11ヶ月の時点ではまだ「ずりばい」もできなかったえいとでしたが、周りの子たちが動き回る様子を見て自分も動こうとするなど、早めに保育園に入って本当によかったと思います。
1歳の誕生日。両祖父に支えられ、一升餅を背負ったままようやく座っていられました。
しかし、入園したものの、はじめは1週間のうち半分仕事に行ければよい方でした。体温調整がうまくできないので、暑い部屋にいるとすぐに熱が38℃くらいまで上がってしまいます。加えて、溶連菌やノロウイルスなど、ほかの子なら自宅で療養すれば完治する病気でも、えいとの場合はすぐに点滴が必要な状態になるので、結局3歳になるまでに5回も入院してしまいましたね。自営業ですので、どうにか都合をつけて、子育てと仕事を両立させていました。
家庭でも食事には気をつけています。流産を繰り返していたことがきっかけで、食生活を見直すようになりました。
プラダーウィリー症候群の赤ちゃんは、1万5千人に1人の確率で生まれると言われています。必死に情報を集めながら子育てをする中で、同じようにプラダーウィリー症候群の子どもを育てている方々の姿に、とても勇気づけられました。最初は皆さんのブログを読むだけでしたが、世の中には自分と同じような人がいるのだと知り、次第に私も、情報の一つとしてえいとの子育ての様子をブログやSNSで発信するようになりました。 それは同時に、私自身の「備忘録」という目的もありました。プラダーウィリー症候群の子どもは、小さい頃は穏やかですが、次第にこだわりが強くなるなどの育てづらさが現れ、8歳ころには豹変のスイッチが入ると言われています。もしえいとがモンスターのようになったときに、わが子を愛せなくなったらどうしよう・・・雲をつかむような怖さを感じ、その不安から、小さい頃の可愛いえいとの姿を一つひとつ残し、自分の気持ちを忘れないようにしたいと思ったのです。
現在4歳になったえいとは、保育園では幼児(年少)クラスに上がり、元気に走り回る大勢の子どもたちに混ざって毎日を過ごしています。プラダーウィリー症候群の特性から、体幹が弱く転びやすいので、いつもマンツーマンで先生が付いてくださっています。ちょっとお値段は高いですが、靴はいつもハイカットです(笑)。
3歳差で弟が産まれましたが、お腹の中にいた頃から、二人の違いを感じていました。まず、胎動が全く違います。弟の胎動は力強く、出産時には元気な産声をあげ、おっぱいを吸う力がありました。えいとはプラダーウィリー症候群の特性で筋緊張低下があり、抱きしめると体がふにゃふにゃ。一方弟は、硬くしっかりとしています。強く生まれた子の感覚を、弟が私に教えてくれます。だからこそ、えいとの良さと弟の良さ、お互いの良さをはっきりと感じることができるのです。
お世話好きなお兄ちゃんです
一緒に遊んでいる姿を見ていても、二人の違いがよく分かります。えいとはちょっと疎いところがあって、弟がこっそりイタズラをしていても気づくのが遅くて(笑)。ようやく弟の悪さに気づいた時には、もう色々なものがぐちゃぐちゃ。それを見て怒りながらも、一生懸命片付けています。元の状態に戻すことが、とても得意なんですね。
これはプラダーウィリー症候群の特性でもあって、えいとは最初に見た状態を記憶し再現することにとても優れています。絵合わせやパズルは大得意で、今では4歳にして、96ピースのジグソーパズルをあっという間に完成させてしまうんですよ!ほかにも、百人一首大会で優勝したというプラダーウィリー症候群の子のお話を聞いたことがあります。 ただ、ゴミでもなんでも、全てあった場所に戻そうとしてしまうので、親は最初の状態を事前にしっかりと考えて、整えておく必要があるんです(笑)。
96ピースのジグソーパズルも、あっという間に完成させてしまいます!
こうして誰かにえいとのことを話せる立ち位置に来るまでには、その病気や障がいを受け止める覚悟が必要です。実は、私はそれをクリアできていないのではないかと思っていたのですが、こうして話してみると、実はクリアしちゃっていたのかもしれません。それは周りに、同じようにわが子の障がいを受け止めて、クリアしている人がたくさんいたからです。クリアすると、気持ちが楽になれるんですよね。 私と主人は、えいとが早期にプラダーウィリー症候群と分かったからこそ色々な情報を集め、それについて行動することができましたが、反対に、「グレーゾーン」と言われるお子様の子育てをしている親御さんの方が、ずっと大変なんじゃないかなと思います。
二人とも、これからどう育っていくのかなぁ。健康で、みんな笑顔で過ごしていきたいですね。そのためには、親が笑顔でいること。無理をしないことが大切だと感じています。
2020年11月15日現在
【Profile】
【編集後記】
1万5千人に一人の確率で発症するといわれる指定難病「プラダーウィリー症候群」。小玉さんは、診断がついたときは「ショックよりも、スッキリした!」と素敵な笑顔で語ってくれました。過去に流産を繰り返し、死産も経験している小玉さんですが、どんなことも前向きにとらえ、基本的な食生活の大切さや、いつも笑顔でいることの尊さをあらためて教えていただきました。小玉さん、ありがとうございました!
インタビュー実施日: 2020年11月7日(オンライン) インタビュー原稿校了日: 2020年12月10日