次男が「発達障がい」と診断されたのは、今から約6年前。彼がまだ小学校1年生の時のことでした。病院での診断名は「自閉症スペクトラム障がい」。障がい福祉の仕事に就いていながら、わが子の障がいには全く気が付かなかったことに、私は愕然としていました。
保育園に通っていたときは、特に大きな問題もなく園生活を楽しんでいたはずです。それが、小学校に入学して間もなく、担任の先生から「落ち着きがない」「集団行動ができない」「思い通りにいかないとパニックを起こす」と言われるようになりました。そして、専門機関で発達検査を受けることを強く勧められたのです。
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たしかに、入学後は、お友達とケンカになって泣いて学校を飛び出したり、パニックになって落ち着かず、先生と一緒に帰宅することが度々ありました。授業中は思ったことを何でも口に出してしまうので、授業の進みを妨げていると言われたこともありました。
時々面倒なことは言うものの、家の中では落ち着いて過ごしていることが多かったので、本音では「学校の指導力が低いのでは」「先生が次男を理解できないだけでは」と疑わずにはいられませんでした。しかし、学校でトラブルがあった日は、帰宅しても夜ごはんを食べられないくらい疲れきっていることもありました。そんな姿を見て「なんとかしてあげなければ…」と思い、専門機関を受診することにしたのです。
楽しみにしていた小学校の入学式。その後待ち受けていたのは、信じられない現実でした。
次男は、年子三兄妹の真ん中です。一つ上にお兄ちゃん、一つ下に妹がいて、三人はいつも一緒でした。 1歳、2歳、3歳の三人を育てていたときは、もう記憶がないくらい大変でしたね(笑)。長男が落ち着いた性格なので随分と助けられましたが、次男は正反対で、興味があるものには猪突猛進!三人を連れて公園に行こうものなら、ある程度言うことが聞ける長男と、よちよち歩きで目も手も離せない娘の間で自由奔放に動き回るので、一瞬でも気を抜くとすぐに見失ってしまうほどでした。
年子三兄妹はいつも一緒でした。
「こだわり」も強く、三人の中では常に「1番」に執着していました。三人まとめてお風呂に入れて、長男から順番にあげると、「ぼく1番がよかったー!!」と大泣き&大騒ぎ。そんなときは、「お兄ちゃんは0番で、あなたが1番だよ!」と声をかけてあげると、「えっ!ぼく1番?」と納得して喜んでいました。ある意味、言葉に対して素直(?)なところもありましたね(笑)。
今思えば、こうした行動の一つひとつが、「こだわりが強い」「衝動的に行動する」などの障がい特性につながるものだったのかもしれません。しかし、当時はあまり気にすることなく、この子の個性なのだと受け止めていました。何かに執着したときや、イヤイヤが過ぎる時は、どうすれば気持ちが切り替えられるかを必死になって模索していましたが、こうした時期は幼い子どもには誰にだってあることだろうと思っていましたから。それに、ちょっと面倒な時はありますが、次男との会話は結構楽しいのです(笑)。
とてもユニークで、好きなことに一生懸命で、時々甘えん坊な、かわいい次男。そんな彼が、小学校では不安定になると大暴れ。学年が上がるにつれて体も大きくなり、危ない場面も増えていきました。お友達とケンカをして、かけていたメガネが割れたり、お腹を蹴られ、足型のアザをつけて帰ってきたこともありました。本人はもちろん辛かったと思いますが、同じ校内でそれを見ていた兄や妹も、心を痛めていたに違いありません。
そこで、次男が4年生の時、私は兄と妹にこんなお願いをしました。 「(次男は)お友達とルールの考え方が少し違っていて、学校で困ってしまうことがあるから、もしもパニックになってしまったら「どうしたの?」と声をかけてあげてね。」
優しい性格の兄は、休み時間に度々次男に声をかけに行ってくれていたようでした。クールダウンが必要な時は、校長先生が仕事の手を止めて、校長室で話し相手になってくださったそうです。そうやって少しずつ、「どうしたの?」と寄り添ってくれる人が周りに増えていったおかげで、次男も少しずつではありますが、気持ちをコントローすることとができるようになっていきました。
毎年夏休みになると、秋田の祖父母宅に帰省し海水浴を楽しみます。ゆったりした秋田の海では、こだわりの強い次男も、のびのび遊ぶことができます。
2020年3月、次男は無事に小学校を卒業することができました。 卒業式の数日前には、校庭で遊んでいる最中にふざけて足首を骨折してしまい、当日はギブスと松葉杖…。それなのに、本人は「みんなと同じようにやりたい!」と主張したそうです。松葉杖で入場し、卒業証書授与では、先生たちに両脇を支えていただきながら、なんとか壇上へと上がりました。そして、大好きだった校長先生から卒業証書を授与していただく姿を見たときは、「最後の最後までみんなに心配をかける子だなぁ…」と思いながらも、涙が止まりませんでしたね。
皆さんに迷惑をかけながらも、最後まで卒業式に出席することができました。
小学校生活の6年間は、発達障がいと診断されてからの6年間とともにありました。どこかで私は、自分ばかりが次男を心配している気持ちになっていたのかもしれません。しかし、卒業式でたくさんの方々に囲まれている彼の姿を見て、どれだけ彼が周囲に助けてもらっていたのかをあらためて知ることができたのです。 本人は、辛い思いも苦しい思いも、たくさんしたと思います。しかし、そばにはいつも、先生やお友達のサポートがあったからこそ、この子の6年間が成り立っていたのですよね。それを実感することができ、感謝の気持ちでいっぱいになった、忘れられない卒業式になりました。
「発達障がい」と知ってから、彼のできることや得意なことを、一つでも多く、必死になって伸ばしてあげなければと思っていました。 しかし、今はこう思います。
「何もできなくてもいいから、誰かに“助けてあげたい”と思ってもらえる人間に育てたい-」
いつも私に大切なことを教えてくれる次男と、次男を支えてくれるすべての方々に、心から感謝しています。
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【編集後記】
この記事は、次男が「発達障がい」と診断された小学1年生の時から卒業するまでの6年間の思い出を、インタビュー原稿にまとめたものです。この経験が「Interview Care」を生み出す原点となりました。お読みいただき、ありがとうございました。
インタビュー実施日: 2020年12月1日 インタビュー原稿校了日: 2020年12月5日